「わたなべ」さんの由来
職業としての「わたなべ」さん
最初の「わたなべ」さんは、飛鳥時代に「船渡し(人や物を船で運ぶ仕事)」をしていた人たちが名乗った姓とされています。当時、「部」という漢字は職業を表しており、「船渡し」という職業を表す「渡部(わたしのべ)」が「わたしなべ」→「わたなべ」と変化し、「渡部(=わたなべ)」が誕生しました。
地名としての「わたなべ」さん
平安時代には、「渡部」さんたちが摂津国(現在の大阪府)の川の近くに集落を作って住んでいました。この集落の場所が「渡部が住んでいる辺り」を意味する「渡辺(わたなべ)」という地名で呼ばれるようになりました。
「渡辺」さんの増加
その後、「渡辺」一帯を統治するために「源 綱(みなもとのつな)」という武士が現れ、彼はこの地を収めるにあたり「渡辺 綱」と名乗りました。渡辺綱は、京の都を荒らし回っていた盗賊たち(鬼)を成敗し、「鬼退治をした渡辺 綱」として名声を轟かせます。それにあやかり、「渡部」さんが「渡辺」へ次々と改姓し、「渡辺」さんが一気に増えました。
「なべ」の漢字が増えた理由
戸籍法の制定
1871年に明治政府は戸籍法を制定し、翌年に全国的な戸籍調査を実施しました。この制度により、全国民が正式に戸籍に登録されることとなりました。
当時の役人の中には、漢字の細かい違いや複雑な字形について十分に理解していない者も多く、特に地方で顕著でした。また、役所によっては旧字体で登録するところもありました。その結果、戸籍を記入する際、役人が正しい字体を知らないために誤った文字や似たような文字で名字を登録してしまうことが多々ありました。特に、渡辺の「辺」の旧字体「邉」は誤登録が多かったと言われています。
この結果、50種類以上の「なべ」の字が登録され、現在に至っています。
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